「代表チームの監督を引き受けてくれないか。今すぐ返事がほしい」 1998(平成10)年2月、日本自転車競技連盟から突然、電話があった。競輪選手としてレースに出る一方、白河市の自宅近くの練習場では競輪選手に指導もしていた。一部では「班目道場」などと呼ばれていた。監督を引き受けることは、32年続けた選手を引退することでもある。 しかし、考える時間は与えてもらえなかった。「いつかは引退しないといけない...
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