国立競技場近くで見た1964年東京五輪陸上男子マラソンは目に焼き付いている。 当時、私は順天堂大陸上部の学生。競技場から数百メートル離れた東京・千駄ケ谷の水球会場で運営の補助員を務めていた。「2位で日の丸の選手が来た」「『えんや』だか『まるたに』って名前のようだ」。テレビ中継を見ている人の会話ですぐに円谷(つぶらや)幸吉さん(須賀川市出身)だと分かった。慌てて高台まで見物に出ると、円谷さんと...
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