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【4】苦肉の策、実らず休館に 本宮映画劇場館主・田村修司

2022/09/08 08:30

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休館の数年前、劇場前で写真を撮った私(左から2人目)と従業員。10人ほどいた従業員は休館する時には1人だけになっていた

 世の中で一番恐ろしいものはお金。今でもそう思っている。  昭和30年代に入ると、白黒テレビの登場により、本宮映画劇場は一気に経営が傾き出した。追い打ちをかけるように1956(昭和31)年、父寅吉が51歳で急死。私はわずか20歳で館主を継ぐことになってしまった。当時は従業員が10人ほどいて、家族も母と妹、弟の6人がいた。いきなり、十数人を養わなければならない立場になった。  館主になり分かったが、...

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