世の中で一番恐ろしいものはお金。今でもそう思っている。 昭和30年代に入ると、白黒テレビの登場により、本宮映画劇場は一気に経営が傾き出した。追い打ちをかけるように1956(昭和31)年、父寅吉が51歳で急死。私はわずか20歳で館主を継ぐことになってしまった。当時は従業員が10人ほどいて、家族も母と妹、弟の6人がいた。いきなり、十数人を養わなければならない立場になった。 館主になり分かったが、...
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