果樹や水稲を栽培していた上保原村(現伊達市)の農家に生まれ、家族と過ごした日々が原点にある。仲の良い7人きょうだいで、末っ子の五男の私はかわいがってもらった。 幸せな家庭だった。でも、兄姉が立て続けに病気を患って経済的に苦しくなった。三兄は「肺病」と呼ばれていた結核に感染し、壮絶な闘病生活の末に26歳で命を落とした。看病した長姉にも家庭内感染したが、ハワイに移住していた親戚のおかげで抗生物質...
この記事は会員専用記事です
残り622文字(全文822文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。