父の後を受け継いで長年餃子(ギョーザ)を焼く中で、数々の試練も経験した。最大の試練は1998(平成10)年の火事だ。3階建ての店舗兼住宅を焼き、全てを失った。 当時は毎日夜遅くまで仕事をしていたが、兄が経営する近くの店で好きなコーヒーを飲んでから家に帰るのが日課だった。寝るのは午前2時か3時という生活が続いていた。 その日は兄が「明日は東京でモモの花を配るので早く閉める」と言うので、少し早めに家...
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