社長としての自信を失い、一人で米国に渡ったのは1990(平成2)年5月のことだった。この際なので英語を勉強し直すとともに、現地の動物薬関連の企業や畜産現場を訪ねてみようと考えていた。 サンフランシスコからサンディエゴ、ボストン、シカゴと飛行機を乗り継ぎ、レンタカーを運転して企業を回った。15社ほど訪問して一緒にビジネスをできないか可能性を探ったが、これという成果は得られなかった。ただ、畜産農家で...
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