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【7】それでもここにいたい 棚倉町の英語専科講師・シャノン イエクリー

2023/09/19 08:30

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2011年に棚倉町の祭りに参加した当時の私。震災直後、日本に残るという選択をしなければ、こうした祭りに参加することはできなかっただろう

 2011年3月11日に発生した東日本大震災と東京電力福島第1原発事故。発生当時、情報が得られないとして日本を離れ、帰国していった米国人も多かったと聞いている。それはやむを得ないことだったと思うが、私にはこの場所しかなかった。私が選んだのは、日本だった。 私は当時、派遣会社を通して棚倉町の小学校や幼稚園で英語を教えていた。文法や単語を教えるのではなく、ゲームや音楽を活用して英語を楽しいものと思って...

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