2011年3月の原発事故後、東京での避難生活で福島の情報が得にくい日々を送る中、故郷のことを考える時間がおのずと長くなった。 放射線への不安はあったし、故郷のいわきで再びかまぼこ店を続けていけるのかと悩んだこともあった。それでも、工場に残した両親や従業員、そして先祖代々の墓のことを考えると、「戻らない」という選択肢はなかった。津波の影響で流されてしまった同業者の分まで、残った私たちが地元の味をつ...
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