プロのバイクレーサーになる夢を21歳で断念すると、故郷の浅川町に戻り、父勝美と母みつの経営する生田目製作所に就職した。 両親は「よく帰ってきてくれた」と喜んでくれたが、本当は製造業はやりたくなかった。両親はいつも多忙だったが、忙しさに見合うほどもうかっているように見えなかったからだ。工場の油の臭いも好きではなかった。 一方で「俺は社長の息子だし、それなりには食っていけるんじゃないか」と安易な考え...
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