私が部長をしていた公立相馬総合病院の看護部には、東日本大震災が起こった時、助産師を含めて約150人が所属していて、看護助手1人が津波の犠牲になった。家族が行方不明になったり、自宅を押し流されたりした職員もいた。普段は病院の中だけに気を配ればいいが、非常時は職員の仕事以外の面もサポートし、勤務できる職員を確保する必要があった。「保育園が休園し、子どもを置いておけない」「高齢の母親を一人にしておけな...
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