ななくさ農園を開園以来、農閑期の冬場は大七酒造(二本松市)で蔵人として働いていた。「自分の酒を造りたい」。元来の酒好きが高じて、次第にそう思うようになった。本来なら、これまで培った技術を生かして日本酒を造りたかったが、新規の清酒製造免許は出ないとのことで断念。当時は首都圏で小規模ブルワリー(醸造所)の起業が盛んで、発泡酒製造免許であれば比較的取りやすいことから、年間6千リットルの発泡酒を製造する...
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