国立京都病院は終戦までは陸軍病院で、広大な敷地の中にある。私が3年間学んだ病院付属の高等看護助産学院もそこにあった。全寮制で、各学年50人、3学年合わせ150人が、5階建ての一つの寮で暮らした。午前6時に起床すると、当番ごとの仕事がすぐに始まった。食事当番のときは病院の地下までリヤカーで朝食を取りに行き、ご飯やおかずをアルミの食器に入れて配膳した。一日の授業の前には、必ず全学生が講堂に集合して輪...
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