東京・渋谷に移り、本格的に暴力団の活動を始める。そして覚醒剤に溺れていった。 組事務所の当番や親分の護衛、記事で紹介できないことを散々した。僕のシノギ(暴力団が収入を得る手段)は覚醒剤の密売やヤミ金など犯罪ばかり。ケンカや博打(ばくち)もよくした。 26~28歳は親分(2次団体の組長)のかばん持ち(お付き)。自慢するのも変だが、20代の若いヤクザでは名誉なことだ。常に親分の近くにいるので組織内の...
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