私には親友と呼べるほどの友人は数少なかった。その中でも一人の友人の存在が私自身の生きる目的に強く影響を及ぼした。彼は3Dエフェクターとして働き、今や世界的に有名なゲームタイトルのクレジットにも名前が載るほど有名なクリエイターになった。 そんな彼だが、中学生の頃不登校となり、学校に来ない時期が2年以上もあった。何事にも無気力で、さまざまな遊びや買い物に半ば強制的に連れて行ったのを覚えている。そんな...
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