楢葉町が、東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示の解除から10年を迎えた。復興事業として整備したインフラを基盤に産業振興などに取り組み、さらなる地域再生を進めていく必要がある。
双葉地方南部にある楢葉町は、2011年3月の原発事故で全町避難を余儀なくされた。除染が進み避難指示が解除されたのは、15年9月だった。町役場周辺に商業施設や住宅地、医療機関を集約したコンパクトタウンを整備することなどで、一度はゼロになった居住人口を7月末現在、移住者を含めて4469人まで回復させた。
ただ、震災時の居住人口は約8千人で、高齢化や地区行事の担い手の不足など、地域社会は大きく変化している。移住者は増加傾向だが、町内に定着しないケースもあるという。町には、移住者と住民がそれぞれのニーズを補い合って共に地域をつくっていくような環境を整え、さらなる移住や町外で避難を続ける町民の帰還に結び付けていくことを求めたい。
町の基幹産業である農業は、震災前の農地面積比で8割弱まで再開が進んでいる。主軸となっているのは、震災後に始まったサツマイモの栽培だ。17年に1.5ヘクタールだった栽培面積は現在約60ヘクタールまで拡大し、県内でも有数の産地となっている。町特産品開発センターではサツマイモやユズの6次化商品の開発も進む。
農業再生に一定のめどが立ちつつある中、今後の課題は商工業の振興となる。町内では、福島第2原発の廃炉に関係した事業に地元事業者が参入することを目指し、商工団体などが連携し「事業協同組合廃炉共生カンパニー」が設立された。町は、震災後に進出してきた企業とも連携しながら、生活や雇用を支えるサービス業などの活性化を図ってもらいたい。
町内にJヴィレッジがあることから、町営運動施設などの整備を組み合わせたスポーツ振興によるまちづくりも進められてきた。インターハイサッカー男子の固定開催が始まるなど、選手や応援する家族らが町を訪れる機会が増えている。町には、交流人口の拡大に伴う宿泊や買い物などの経済波及効果を町内だけではなく、浜通り全体に広げる役割を期待したい。
楢葉町は、長く復興事業の最前線だった。そのため復興の試みの中には、経済情勢の変化で事業開始まで至らなかったり、土地利用が中止になったりした事例もあった。今後の地域再生を進める上では、将来の需要を見越しながら、着実な成果を生み出す施策を講じていくことを心がけてほしい。