私が29歳の時に父薫が他界し、3代目として家業を継いだ。当時の星写真館は多額の売掛金(つけ)を抱え、厳しい経営状態だった。問屋5社のうち4社から取引を中止され、苦難に耐える日々を送っていた。 ただ、途方に暮れてばかりはいられない。妻由美子と長女祥江、生後間もない長男昌也を養う責任があった。残された母孝枝の生活も守っていかなければならなかった。 31歳で法人化する際、ある決断をした。フィルムの現像...
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