【風評の深層・豊かな大地】断たれた販路、店から消えた県産品

 

 「福島の農業が崩壊してしまうと思った」。JA福島五連会長として、東京電力福島第1原発事故に直面した庄條徳一さん(77)は当時を振り返る。

 事故後間もなく、県産のホウレンソウなどから暫定基準値を超える放射性物質が検出され、出荷停止となった。影響はほかの産品にも広がり、自殺者も出た。「このままでは福島の緑の大地はどうなってしまうのか」。強い危機感を覚えた。

 被害が大きかった浜通りや県北地方の産品はともかく、県南、会津地方だけでも出荷できないか―。JAグループとして手だてを探ったが、消費者の警戒感は想像以上に強かった。「福島産というだけで見向きもされなかった」と庄條さん。風評が広がりつつあった。

 何とか理解を求めるためイベントを企画しようとしても、受け入れてさえもらえない。事故前に確立されていた販路は断たれ、ついには県外のスーパー、デパートの棚から県産品が消えた。

 危機的状況を打開しようと、JAグループ福島はゲルマニウム半導体検査機器の導入を進めた。検査体制が整い、7月ごろから検査結果を示せるようになり、市場やスーパーなどを巡り県産品の安全性を訴え続けた。一人でも多くの人に手に取ってもらおうと、通常より低価格で販売していたこともあり「福島産はほかの産地より安いし、買ってみるか」という消費者が少しずつ増え、県産品を取り扱う店も増えていった。

 庄條さんは「ただ安全安心を叫ぶのではなく、根拠が必要だった。検査体制が整ったことで、ようやく一歩踏み出せた」と感じ、胸をなで下ろした。

 しかしこの時から、現在まで続く新たな問題が生まれていた。ある大手コンビニチェーンは、おにぎりのコメに会津産コシヒカリを使っていた。事故後、他県産に切り替えたところ、味が落ちて売れ行きが低迷。再び会津産コシヒカリが使われることになったが、その契約は、以前と変わらぬ品質にもかかわらず、安い価格で結ばれた。

 失われた販路を取り戻そうとする過程で、生じた思わぬ落とし穴。「卸だけでなく消費者も賢い。『良い物が安く手に入る』という価値観が定着してしまった。それが恐ろしいし、今もその壁を突き破ることができない」。庄條さんは実感を込めて語った。

 消費者、卸の信頼を得ることは容易ではなく、地道な歩みがこれまでの県産品の販路や価格を支えてきた。庄條さんは「福島の農産物が販路を得るまでには、先人たちの10年以上にわたる努力があった」と強調する。その上で「原発事故は、県産品の販路や棚を、積み重ねてきた努力や信頼というかけがえのないものごと吹き飛ばした」と語った。

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 出荷停止と解除のルール 食品衛生法の暫定基準値を上回る放射性物質が検出された農水産物について、政府が「原子力災害対策特別措置法」に基づき都道府県に出荷を制限するよう指示する措置。解除には品目ごとに決まった検査を実施。直近1カ月以内の検査結果が全て基準値以下であり、基準値を超える結果が出ないことを推定できる場合に解除される。