1985年にアメリカで製作されながら、日本では長年にわたり上映が見送られてきた“幻の作品”が、日本で初の一般上映が実現した──。都内で開催中の「第38回東京国際映画祭」で30日、ポール・シュレイダー監督による映画『MISHIMA』(原題:Mishima: A Life in Four Chapters)が上映され、満席の観客が見守る中、監督ら関係者が舞台あいさつに登壇。シュレイダー監督は「この日を信じていた」と、40年を経ての“里帰り”に熱い思いを語った。
【写真】美しい…“幻の作品” 『MISHIMA』場面写真
同作は、文学者・三島由紀夫の生涯を描いた作品で、右翼団体の反発などから長年国内公開が実現せず“幻の作品”とされてきた。今回の映画祭で、三島の生誕100周年を記念した特別プログラムの一環として、日本初上映が実現した。チケットは発売開始後10分で完売し、会場は満席となった。
プロデューサーの山本又一郎氏は「アメリカの監督が、日本人キャストのみで作った、おそらく最初の映画だと思います。発表できずにいた長い年月がありましたが、製作当時はフランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカスの両氏がエグゼクティブ・プロデューサーとして加わることに大きな興奮を覚えていました」と振り返った。
アソシエイト・プロデューサーのアラン・プール氏は、40年の間に亡くなられた美術の石岡瑛子さんをはじめとするスタッフ、主演の緒形拳さん(三島由紀夫役)、坂東八十助さん、笠智衆さん、左幸子さん、李麗仙さん、池部良さんらの名前を挙げ、「日本初上映の実現に尽力された方々に改めて感謝いたします」と述べた。なお、会場には出演者の萬田久子、永島敏行らが来場していた。
シュレイダー監督は、「なぜ三島なのか?なぜあなたが監督をするのか?とよく問われます。それが、最も多い質問なのです」と切り出し、三島由紀夫という題材を映画化した理由を語った。「私が三島にひかれた一つの理由は、兄の影響でした。兄は京都の同志社大学で教授をしており、三島事件が起きた1970年、そのとき日本にいたのです。私は兄の目を通して、三島という人物について間接的に聞いていました。三島には華やかな側面もありましたが、私が最も心を動かされたのは、彼の哲学的・精神的な部分でした。私はキリスト教的な価値観の中で育ちました。そこには『人は苦しみの中から栄光を得る』という思想があります。私も、そうした経験をしてきました。その感覚を、私は映画『タクシードライバー』(脚本を担当。監督はマーティン・スコセッシ)の中で探究したのです。主人公トラヴィスは、しばしば『無教養で、無知な男』として解釈されがちですが、私はそうとは思いません。精神の病理というものは、知識人や成功者にも及ぶものであると考えています。『トラヴィスは誰がモデルですか?』と聞かれたとき、私は即座に『三島由紀夫』と答えていました。私自身の苦悩から何か意味を見出したいという気持ちがありました。そうした思いと三島の思想が重なり、私はいつか三島を題材にした作品を撮りたいと思うようになりました」と語った。
さらに、「私はずっと信じていました。いつかこの映画が日本で上映される日が来ると。ただ、私自身がその日を生きて迎えられるかどうか、それが唯一の問題でした」と語り安堵の表情をみせた。
三島由紀夫を描いた“幻の作品” 40年を経て東京国際映画祭で日本初上映 シュレイダー監督「この日を信じていた」
2025/10/30 13:36
- 映画
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