【与謝野晶子の短歌】裏磐梯「会津詠草」 森の生命...ちりばめた青

 
かつて与謝野晶子が宿泊した別荘のあった弥六沼の湖畔。森の上に、かすんだ磐梯山が見える=裏磐梯高原ホテル

 9月は、高原のリゾートにとって休み時間のようだ。夏の熱気が消え、辺りが紅葉に彩られるまでの間、ほっとしたような静けさに包まれる。森の上の青空も、あせたように見える。

 そんな季節に、歌人の与謝野晶子(1878~1942年)は裏磐梯を訪れた。今から84年前の1936(昭和11)年のことである。 

 山の恐ろしさ

 会津若松市の歴史研究家、石田明夫さんによると、与謝野晶子は同年9月4日、娘の藤子らと東京をたち、猪苗代町の磐越西線・翁島駅で下車後、同町長浜で1泊。翌5日、長浜から車で、磐梯山東側の裾野を回るようにして、磐梯山の北側、裏磐梯を訪れた。晶子の裏磐梯訪問は、この時が最初で最後だった。

 もったいぶって書いたが、晶子一行が通った、猪苗代側の表磐梯と、北塩原側の裏磐梯とを結ぶルートは、今にすれば県道米沢猪苗代線と国道459号に相当する、ごく一般的なルートだ。

 とは言え、晶子が訪れた当時は、前年開通したばかりの真新しい道路だった。それ以前、裏磐梯へ入るには喜多方側からの道路を通るしかなく、猪苗代側からの新道は、物資を運ぶトロッコ列車の軌道跡に設けられたという。今は国内屈指のリゾートも、当時は黎明(れいめい)期だった。

 そんな当時の話を知ると、何度か走ったことのある道でも、特別な感興が湧く。晶子と同じく猪苗代側から国道459号を上り、川上温泉を過ぎ、五色沼へ向かう途中、道端で揺れる数本のススキの穂が目を引いた。

 晶子が裏磐梯を詠んだ歌は、遺稿歌集「白桜集」に収められた連作「会津詠草」に9首ある。そのうち1首がススキの歌だ。

 〈人間の初めて通う路のごとすすきの鳴れば山もをぞまし〉

 人間が初めて通るようなススキ野の道は、山がぞっとするほど恐ろしく感じるの意。少し、ぎょっとする。初秋の高原をロマンチックにスケッチした歌ではまったくない。

 磐梯山は、晶子が訪れる48年前の1888(明治21)年、大噴火した。山の一部が消し飛び、裏磐梯では、集落が岩石に埋まり、川がせき止められて桧原湖などの湖沼群ができるなど、地形、植生が一変した。晶子が詠んだのは、この噴火でできた荒れ地を覆うススキの群落と、一部が消失した磐梯山のまがまがしい姿だった。

 多彩な湖沼群

 現在、国道沿いは緑に覆われ、広大なススキ野は見当たらない。ただ、噴火でえぐれた磐梯山の姿は、裏磐梯を象徴する景色として今もある。

 さて、晶子のこの旅行だが、そもそもの目的は、会津若松訪問だった。彼女が学監を務めていた文化学院の学生で、同地出身の森芳介、愛子兄妹から招待を受け、9月6日から帰京する10日まで、若松市内に滞在している。同行した晶子の六女藤子は、この4年後、森芳介と結婚しており、縁談含みの会津旅行だったのかもしれない。

 つまり裏磐梯は、ついでに立ち寄った場所と言えなくもないのだが、先のススキの歌をはじめ、晶子は印象的な作品を残している。特に五色沼など、噴火で生まれた無数の湖沼は、歌人を引きつけたようだ。

 〈湖沼ども柳葉翡翠竜胆(ひすいりんどう)のいろ鴨跖(つき)くさの青をひろぐる〉

 数々の湖沼はヤナギの葉、翡翠(カワセミ)、リンドウ、鴨跖くさ(ツユクサ)それぞれの多彩な青を広げている―。

 五色沼は、天候や場所によって、水の色が変化するため付いた名だが、五色沼に限らず裏磐梯の湖沼群は、それぞれの青を見せる。晶子は、この、きらめくような色の多様さを森の中の動植物の名をちりばめ表現した。おもちゃ箱の中身を広げたようなにぎやかさも面白い。

 記者は、五色沼(毘沙門沼)を過ぎ、弥六沼を訪れた。現在、裏磐梯高原ホテルが立つ湖畔には当時、磐梯施業森林組合が所有する温泉付きの2階建て別荘があり、晶子らはここで1泊した。湖畔からは、中央がえぐれ両端が角のようにとがった例の磐梯山が一望できる。

 この日は雲が多く、磐梯山は時折姿を隠し、湖面も暗く沈んだ青色をしていた。記者は、晶子のように、森の中でさまざまな青色を探そうかと遊歩道を進むと、カワセミやリンドウには出合えなかったが、鏡のような湖面に引きつけられた。まだ青いカエデの葉が、水面(みなも)に面白い模様を映している。9月の高原は、静かに紅葉の化粧支度を進めているようだ。

【与謝野晶子の短歌】裏磐梯「会津詠草」

 与謝野晶子 明治から昭和初期に活躍した明星派の代表的な歌人。大阪府生まれ。本名しよう。第1歌集「みだれ髪」で大胆に女性の情熱をうたい、明治30年代の浪漫主義運動の中心となった。詩歌雑誌「明星」を創刊した歌人与謝野鉄幹の妻。1936(昭和11)年の会津旅行は2度目の県内訪問で、最初は11(明治44)年に夫と福島・飯坂温泉と会津若松・東山温泉を訪れている。

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 裏磐梯 北塩原村、猪苗代町などにまたがる磐梯山北麓一帯の総称。桧原、小野川、秋元の裏磐梯三湖と五色沼湖沼群を中心とする景勝地。磐梯山の噴火で一時、荒野となったが、民間事業者が植林に成功した場合、国有地を払い下げる国の「復興策」の下、会津若松の遠藤十次郎など会津地方の資産家らが緑化を推進した。

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 弥六沼湖畔 与謝野晶子が宿泊した弥六沼湖畔の別荘は、遠藤十次郎と、会津若松の呉服商宮森太左衛門らが設立した磐梯施業森林組合が、昭和初期に建設した。別荘には温泉が引かれ、宮森所蔵の美術品なども持ち込まれたといわれる。猪苗代側とを結ぶ道路の整備と合わせ、晶子が訪れたこの時期、裏磐梯の観光開発が動き始めたことを物語っている。

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 アクセス 北塩原村・弥六沼周辺へは、車の場合、磐越道・猪苗代磐梯高原インターチェンジ(IC)から国道115号、459号経由で約25分。福島市方面からは同じく国道115号、459号経由で約1時間。鉄道・バスの場合は、JR猪苗代駅から小野川湖入り口まで約25分。