「紺碧の空」早大応援部に推薦!歌手・伊藤久男のいとこ立役者

 

 作曲家古関裕而がモデルの朝ドラ「エール」で話題を集めている早稲田大の第1応援歌「紺碧の空」。早大関係者が約90年歌い継ぐ名曲は、作曲者の古関以外にも県人が関わっている。本宮市出身の歌手伊藤久男のいとこで、当時の早大応援部の幹部だった故伊藤戊(しげる)さんだ。古関の作曲家人生の始まりに影響を与えた秘話を紹介する。

 紺碧の空は、古関が日本コロムビア入社翌年の1931(昭和6)年に誕生した。東京六大学野球で宿敵・慶応義塾大に負け続きだった早大の応援部が新しい応援歌を作ろうと考え、古関に作曲を依頼。古関は発表会の3日前に完成させ、さっそく応援で歌われるようになった。

 早大応援部が作曲者を選ぶ際、古関を推薦したのが伊藤戊さんだ。大天狗酒造(本宮市)を経営する伊藤家の出身だった。朝ドラでも山崎育三郎さん演じる「佐藤久志」(伊藤久男がモデル)のいとこが登場し、応援部団長に紹介する様子が描かれている。

 古関の自伝などによると、紺碧の空の作曲依頼前から、同郷のため古関や伊藤久男、戊さんは交流していた。自伝では、古関が伊藤久男の下宿先を訪れた時、戊さんから作曲を依頼されたと振り返る。ただ、当時の古関は無名の新人だったため、戊さんは応援部員に古関の力を熱心に説いたようだ。

 紺碧の空が古関の名を高めたことから、伊藤家では戊さんが「古関を世に送り出した男」と伝えられている。同酒造の伊藤滋敏社長(65)は「(戊さんが)生家に帰ってくると『俺が紺碧の空を作曲したようなもんだ』と冗談交じりに話していた。私も早大卒で『紺碧の空』を歌っていた。誇りに思う」とたたえていた。