紀貫之が「土佐日記」を女性が書いたという体裁にした理由については、いくつか説がある。有名なのは、何か隠さなければならないことがあったというもの。平安京随一の文人の立場では言えないことを書こうとした―との見方だ ▼しかし、この作品には貫之の思いが覆いきれていない部分がある。舟で都を目指す途上や自邸に帰着の際の描写を通じ、故郷に戻れずに土佐で亡くなったわが子への哀惜を吐露している ▼忘れ貝拾ひしも...
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