信濃の戦国武将だった小笠原長時は、晩年を会津で過ごした。礼儀作法の流派である小笠原流を受け継いだ長時は武士らに礼法を伝授し、後には会津藩全域に広まっていくことになる ▼藩校日新館でも藩士の師弟らが小笠原流を主体とした礼法を学んだ。日常の基本的な礼儀を説いた百箇条はあいさつの仕方から勉学の心構え、食事の作法まで広範囲に及んだ。その中には「いただいた肴を残してはなりませぬ」との教えもあった ▼...
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