「この試合で死んでもいい」。4年に1度のラグビーワールドカップ(W杯)の舞台はそう思わせるような独特な空気があった。 2006年、フランスW杯を翌年に控え、日本代表の顔ぶれはだいぶ若返っていた。私は中堅的な位置で主将やゲームキャプテンを任される機会もあった。 アジア地区予選は韓国や香港とのリーグ戦を勝ち抜き、W杯の出場権をつかんだ。大差だったが、試合終了まで緊張が途切れることはなかったことを覚え...
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