ヒツジの飼育を仕事にする取り組みをスタートさせたのは2015(平成27)年。「(東京電力福島第1)原発事故に負けたくない」一心だった。 当時、夫の実家の川内村貝ノ坂地区では、居住制限区域を解除するかどうかで激しい議論が繰り広げられていた。夫は「古里が不当な扱いを受けないように」闘っていたようだ。私はヒツジの保護活動の傍ら、夫の電力関連会社の事務系などの仕事を手伝っていた。会社は除染にも取り組み、...
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