2001(平成13)年8月、私はセレッソ大阪のチーム統括ディレクターに就いた。日本を長く離れていたため、初めはJリーグの規約すら分からず苦労した。ただ、私は「絶対できる」と変な自信を持っていた。チーム編成の在り方や選手との向き合い方に、現役時代から抱いていた理想像があったからだ。 しかし、私の中で「何を目指し、そのためには何をすべきか」という理念が整理されていなかった。勝つために、新たな監督...
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