私がプロ選手として柏レイソルに在籍していた1995(平成7)年当時は、契約や移籍に関して選手に必要な情報が十分に入ってこなかった。選手個人の代理人もいない時代だった。 柏レイソルで試合の出場機会が限られ、クラブ側から別のあるクラブへのレンタル移籍を提案された。しかし、移籍先で活躍しても柏に復帰するという希望はかなわないようだった。クラブ側には「指導者の勉強をしてこい」と言われたが、当時26歳...
この記事は会員専用記事です
残り598文字(全文798文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。