文化服装学院を卒業した頃、日本社会は「失われた30年」と言われるバブル経済崩壊後の長期的な景気停滞に突入していた。 家業も人ごとではなく、関連会社が縫製業から警備業に事業変更するなど影響が出ていた。私が帰省した際、両親と一緒に工事現場の雑踏警備を手伝ったことがあった。不穏な雰囲気を感じながら、地元を後にしたことを今でも覚えている。 「どうやら実家が危ないらしい。会社を守るため、縫製業は手放すこと...
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