• X
  • facebook
  • line

【新まち食堂物語】泰平食堂・田村市 数々の困難乗り越える

2025/09/14 13:00

  • 動画付き
客の注文品を出す吉田さん(右)。「100歳まで店をやるんだから」と宣言する
人気の「ニラレバ定食」

 東京電力福島第1原発事故の影響で、一時避難区域になった田村市都路町。その一角に、名物女将(おかみ)が切り盛りする「泰平食堂」がある。

 郡山市と双葉町を結ぶ国道288号から都路大橋を渡ってさらに進み、市都路行政局の前にのれんを掲げる。地元住民や国道288号を行き来する人にとって、貴重な休息の場所だ。昼時になると、L字形のカウンターやテーブル席はすぐに満席になる。店主の吉田美恵子さん(74)は「混んでいる時は待たせてしまうことになる。『すみません。お客さん優しくしてー』ってコメツキバッタみたいに頭を下げて、許してもらっているよ」とユーモラスな表現で店の日常を語る。

 開店当初からメニューは少し絞ったが、人気のマーボーメンやニラレバ定食、カツ丼と多彩なメニューが並ぶ。「カツ丼は時間はかかるけれど、注文を受けてから揚げるんだよ。おいしく食べてほしいからね」と企業努力を明かす吉田さん。「でもね」と言葉を続け「カツ丼が一番苦手なの。ほかの料理を作りながらだと、ちょっと揚げ過ぎちゃったり、味付けが変わったりしちゃうのよ」と常連客の笑いを誘う。

 大震災、コロナ…

 1980年2月に開店。その年に大雪に見舞われた食堂は、その後も市町村合併、東日本大震災、新型コロナウイルス禍など数々の困難に見舞われた。「何度も辞めようと思ったよ。そのたびに人に助けられて、ここまで来たかな」としみじみ語る。

 田村市(旧都路村)出身の吉田さんは20代の頃、東京都墨田区の中華料理店で働き、地元に戻って食堂を開いた。当時は近くにうなぎ店や洋食店があり、商店も並んで活気があった。十分受け入れられるだろうと思った食堂は、東京で覚えた味付けのせいか、客から「味が薄い」と厳しい感想が聞かれた。「それから味は濃くなったかな。でも味付けは違う時もあるし、常連さんでも飽きない味よ」と笑顔を見せる。

 20年前に合併して田村市になった直後は、特に大変な時期だった。村役場の職員を中心ににぎわった店内は合併後、利用客が大きく減った。「何でか分からなかったけれど、全然人が来なくなってね」。売り上げが少なくなった分は、ヘルパーの仕事を朝と夜に掛け持ちして、穴埋めした。

 目標「100歳まで」

 都路地区の避難指示解除後、2016年9月に再開した店は、復興事業の影響からか新しい人の流れが生まれた。店も新しい時代へと移り変わっている。再開から店を手伝ってきた「若女将」こと吉田裕子さん(40)が今年8月に店を卒業し、松本静子さん(59)との2人体制になった。「私は100歳まで食堂やるんだから」と宣言する吉田さんに、松本さんも「頑張りましょうね」と笑ってうなずく。

 小さな町の小さな食堂は時代の浮き沈みを乗り越え、40年以上続いてきた。「もう肩が痛くてね。私の力ではのれんが上げられないのよ」と最後まで人を和ませる吉田さん。宣言通りとなるよう、応援していきたい。

お店データ

■住所 田村市都路町古道字新町48

■電話 0247・75・3080

■営業時間 午前11時~午後2時

■定休日 日曜日

■主なメニュー
 ▽ラーメン=850円
 ▽特製みそラーメン=950円
 ▽マーボーメン=900円
 ▽カツ丼=1200円
 ▽中華丼=1050円
 ▽ニラレバ定食=1100円
 ▽肉野菜炒め定食=1100円

 インスタに店の情報

 食堂の情報はこれまで、インスタグラムで随時発信してきた。避難指示解除後に店を再開してから約11年間、若女将が営業日のお知らせや店主のユニークな一面を伝えるほのぼのした内容を投稿してきた。若女将が店を卒業したため、今後は新たな広報戦略を考えるという。

この記事をSNSで伝える:

  • X
  • facebook
  • line