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「語り継ぐきっかけに」 郡山出身の彫刻家・三木宗策の墓碑再建

2025/10/20 07:10

市民らからの寄付によって修復された墓碑
三木宗策
三木宗策の作品「威容抱慈(坂ノ上田村麻呂像)」

 郡山市清水台の善導寺にあり、大正から昭和初期に活躍した同市出身の彫刻家三木宗策(そうさく)の墓碑が再建された。東日本大震災で崩れ、そのままになっていたが、市民からの寄付で修復を遂げた。20日に現地で開眼式が行われる。関係者は三木の没後80年の節目を機に「地元を代表する彫刻家を語り継いでいくきっかけになってほしい」と期待している。

 三木は生前、展覧会の出品作を発表し続けた一方、燈明(とうみょう)寺(東京都江戸川区)や西円寺(同葛飾区)の本尊など多くの仏像を手がけ、木彫界を担う一人として期待されていた。だが、郡山市に疎開していた終戦直後の1945年11月、53歳の若さで死去した。

 震災被災、寄付募る

 「盆や彼岸にお墓を訪れるたびに(震災で崩れた墓碑を)何とかしたいと思っていた」。郡山市立美術館を支える「友の会」事務局長の伊藤和さん(82)は話す。墓地にはほかに、震災で被害を受け、10年以上たって手付かずの墓も少なくなかった。「行政には難しいことでも、われわれだからこそできるはず」。そう決意し、「郡山の文化遺産を守ることになる」との励ましも受け、昨年の会の総会で再建を提案。満場一致で決まった。

  同会は市内外の会員が自主的に集まり、同美術館の「サポーター」として活動している。結成30周年の記念事業として取り組み、市民らへの寄付の呼びかけをスタート。約1年間で200万円ほどの善意が集まった。それを基に倒れていた墓碑を修復し、そばに三木の功績を記した看板を新設した。

 三木は故橋本高昇氏(二本松)や故佐藤静司氏(郡山)ら、県内出身の後身育成にも尽力した。「近代の県内の彫刻会をリードした存在」と同美術館の中山恵理学芸員は評する。県内で名士の銅像などを手がけたが、戦時中に国に差し出し、失われてしまった作品もあった。著名な存在だったものの、寄付を呼びかけた際には「そんなにすごい人が地元の出身だとは知らなかった」という声も聞かれた。

 伊藤さんは寄付に感謝するとともに「(三木の作品は)個人で大切に保管され、残っているものも地元にはたくさんある。多くの皆さんに功績を知ってほしい」と思いを語る。善導寺の中村宜孝住職も「後生に語り継ぐことができるはず」と期待を込めた。

 美術館で作品展示

 郡山市立美術館は今月から、近年寄贈されたものを中心に三木の作品の一部を展示している。「威容抱慈(坂ノ上田村麻呂像)」、初展示の「傷つきたる鳥人」など14点が並ぶ。来年1月18日まで。

   ◇

 三木宗策 1891(明治24)年、郡山市本町の表具師の家に生まれた。善導寺本尊修復のため、同市に滞在していた高村光雲門下の山本瑞雲に志願、14歳で上京し、彫刻を学んだ。1916年に文展に初入選。官展に出品を続け、審査員も務めたほか、正統木彫家協会の結成に加わった。各地の寺の本尊など仏像も精力的に制作。53歳で死去した。

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