【たぬきケーキ(中)】昭和の定番、熱望受け復活

 
ニューキムラヤのショーケースに並ぶ「たぬきちゃん」。一つ一つ表情が違い、食べるのがもったいない愛らしさだ

 前回、郡山市で「捕獲」したたぬきケーキ。これは、今年作り始めた令和生まれの新顔だ。では、昭和の時代から続く昔ながらのたぬきケーキは「絶滅」してしまったのだろうか? さらなる捜索は続く。

思い出と再会!?

 福島民友別刷「タッチ」に連載中の漫画エッセー「ただいまふくしま」に昨年、たぬきケーキが登場した。そこには、作者の佐藤ジュンコさん(伊達市霊山町出身)と、福島市の菓子店ニューキムラヤの「たぬきちゃんケーキ」との再会が描かれていた。この店を抜きにして県内の「たぬき事情」は語れなさそうだ。

 同社の花見山本店を訪れると、ショーケースの目立つ場所に「たぬきちゃん」と書かれた札と共に、くだんのケーキが並んでいた。

 社長の金木義一さん(73)は、たぬきケーキを作り始めたのは昭和50年代後半ではないかという。その後、一時期販売を休止していたが、熱い要望を受け2~3年前に再開した。40~50代のお客さんからは「ここにいたの!」と、宝物を見つけたような反応があるという。

 以前販売していた当時のことを専務で金木さんの妻、節子さんに聞くと「ほかの店では見たことがなく、たぬきちゃんはうちの定番商品だと思っていた」と話す。

 そこで、個人的な疑問をぶつけてみた。記者は子どもの頃に郡山市でたぬきケーキを食べたのだが、あれは一体どこで作られたケーキだったのか?と。すると「それ、多分うちのたぬきちゃんです」と節子さん。

 詳しく聞くと、当時ニューキムラヤは「"100円ケーキ"と銘打って週末などに郡山市内の複数のスーパーで出張販売していた」と教えてくれた。福島市や郡山市の「昭和の子どもたち」にとっての思い出のたぬきケーキは、この店のたぬきちゃんだったのかもしれない。

進化系イチゴ味

 さらに、独自の進化を遂げた例も見つかった。

 川俣町にある創業1887(明治20)年の竹屋菓子店。ここでも「たぬきちゃん」はロングセラー商品として人気を集めている。

 約40年前、社長の穂積寿男さん(69)は全国で流行していたたぬきケーキの存在を知り、試作を重ねた。「竹屋の独自色を出したかった」と、ポピュラーなカップケーキ型ではなく、三角のショートケーキ型で売り出した。5月にはイチゴ味のチョコレートを使ったピンク色のたぬきケーキも登場した。

 「タヌキがいるならキツネも」と、5年前には「きつねケーキ」も誕生した。淡い黄色のレモン味のチョコレートを使っており、チョコスプレーで表現したキツネの目が来店者の目を引いている。

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 絶滅の危機かと思われた、昔ながらのたぬきケーキの「生息」を確認することができた。次回は、この「たぬき」が今も生き残る理由や、その形の謎に迫る。(福田正義、佐藤香)