核実験がもたらす被ばく

 

 第2次世界大戦中の広島と長崎への原子爆弾の投下だけではなく、その後の核実験および核処理施設・原子力発電所での事故など、さまざまな理由で放射線被ばくは引き起こされてきました。

 第2次世界大戦後、米国、旧ソ連、英国を先頭に世界各地で原子爆弾および水素爆弾の実験が頻繁に行われました。1958年に世界中で行われた核実験は年間116回、東西冷戦の緊張が高まったキューバ危機の起こった62年には年間178回にも達しました。

 その当時の核実験はほとんどが大気圏内で行われました。そのため、上空に舞い上がった放射性物質は月から年の単位で徐々に地上に降下し、世界中の人々に被ばくをもたらしました。

 そんな中の63年、米国、旧ソ連、英国を中心に地下以外での核実験を禁止する条約(部分的核実験禁止条約)が調印されます。しかし、この条約は環境汚染の防止には効果があったものの、地下での核実験を禁止しなかったため、核軍縮面での効果は大きくなかったといわれています。加えて米ソ主導で進められたこの条約に反発したフランスと中国はこの条約には参加しませんでした。

 その後も核実験は続き、戦後の50年間に世界中で行われた核実験は計2千回以上、そのうち80%以上が米国と旧ソ連によって行われ、約4分の1が大気圏内で行われたことになります。