水爆実験、離れた島も影響

 

 第2次世界大戦中の広島と長崎への原子爆弾の投下だけではなく、その後の核実験および核処理施設・原子力発電所での事故など、さまざまな理由で放射線被ばくは引き起こされてきました。

 太平洋中西部・ミクロネシア海域のマーシャル諸島はサンゴ礁の島々からなる人口約5万人の共和国です。第1次世界大戦後の30年間日本領として統治されていましたが、敗戦後は米国による統治が開始されました。このマーシャル諸島にあるビキニ環礁およびエニウェトク環礁では、1946年から58年にかけて米国による核実験が66回(うちビキニ環礁では23回)行われました。

 中でもよく知られるのが、54年3月1日にビキニ環礁で行われたブラボー実験と呼ばれる水素爆弾実験です。

 ビキニ環礁の周辺住民は核実験が始まる前に近くの島に集団で避難させられていましたが、実際には予測されていた爆発力より数倍大きい爆発が起きてしまい、離れた島の住民が放射線にさらされることになりました。そしてこの実験に巻き込まれたのが、当時爆心地の160キロ東で操業中であったマグロ漁船の第五福竜丸でした。