核実験で放射性物質降下

 

 第2次世界大戦中の広島と長崎への原子爆弾の投下だけではなく、その後の核実験および核処理施設・原子力発電所での事故など、さまざまな理由で放射線被ばくは引き起こされてきました。

 1963年、地下以外での核実験を禁止する条約が調印され、それ以降の米国・旧ソ連・英国による大気圏核実験は行われていません。しかしその条約に反発した中国・フランスなどでは、その後も大気圏での核実験が行われました。

 中国での核実験といえば、西部の新疆ウイグル自治区にあるロプノール実験場が知られています。1966年12月28日に行われた核実験による放射性物質は日本にも到達し、12月30日に石川県輪島市で、明けた1月1日には鳥取県米子市を筆頭に、鹿児島や大阪、福岡、高知などでも放射性物質の降下が起こったことが記録されています。

 もちろん、放射線の影響はその浴びた「量」の問題です。その時日本に到達した放射性物質は住民の方々の健康を危惧するようなレベルではありませんでした。

 しかし、国内どこでも土や水を調べるとこのような核実験による放射性物質がごく微量ながら見つかり、減ってはいるものの完全に「ゼロ」という場所はないのも実情なのです。