東京電力福島第1原発での放射線管理などを主な事業としてきた。社を取り巻く環境が一変した原発事故後も、長年培った放射線関連のノウハウを生かし、奮闘の日々を送る。
1974(昭和49)年に浪江町で創業。当時は福島第1原発の建設が進み、建設過程からエックス線を使った配管の検査などで関わった。
主に原発での放射線管理と配管の定期点検を請け負い、原発事故当時も約30人の社員が福島第1原発にいた。事故から約10日後に関連会社のあった福島市に仮事務所を設置。事故から1カ月は、避難した社員の所在確認に追われた。
ほとんどが相双に暮らしていた社員は避難のために半数以上が退社した。それでも会社存続のため仕事探しに奔走。経験を生かした放射性物質のモニタリングから放射線測定器の販売など今までになかった事業も手掛けた。幕田保夫業務部長(61)は「検討したが、形にならなかったものがたくさんある」と試行錯誤を繰り返した記憶を振り返る。
現在は除染作業での工事監理が主な事業だ。幕田部長は「覆水盆に返らず」を再起のキーワードに挙げ、本来の意味をプラスに向けて「こぼれたものをふき取りきれいにしていくような仕事をしたい」と話す。「原発があったから続けられた会社でもある」と感じているからこそ、今後は廃炉作業に関わることも視野に入れている。「厳しいハードルは多くあると思うが、(廃炉に)貢献したい気持ちは強い」と力を込める。