「あれがきっかけになって大きく動いたんだ。古里に戻ることができるかもしれないってね」。大熊町の大川原地区に住む佐藤右吉さん(81)は、町の避難区域の再編を振り返った。
大熊町の区域再編は、2012(平成24)年12月に実施された。佐藤さんは、自宅のある大川原地区が日中の立ち入りが容易になる居住制限区域になったと聞き、居ても立ってもいられなくなった。避難先の会津若松市から片道2時間30分ほどかけて一時帰宅し、建物の補修などを続けた。
行き来する中、町が大きく変化する様子を目の当たりにしてきた。17年には、自宅から700メートルほど離れた場所で、役場庁舎や帰還する人のための住宅を整備する「復興拠点」の造成が始まった。18年4月ごろ、佐藤さんは準備宿泊制度で念願の帰還を果たした。
大川原地区では、今も復興のつち音が響く。2月には診療所が開所したばかり。飲食店などが入る商業施設の開業も間近に控える。見上げると、大型クレーンが動いていた。赤い鉄骨が組まれた建設中の建物は住民が集う交流施設で、秋にも完成するという。
約90戸の災害公営住宅があるエリアは、同じ規格の建物が続く。一見、無機質のように感じるが、近づくと軒先には植木鉢などが並び、生活感が漂う。
ここで1人暮らしをしている村井光さん(71)は、玄関先でほころぶウメの花を見つめながら、穏やかな表情を浮かべた。「やはり大熊は古里なんだよ」
居間の卓上には、裂いたチラシをこより状にしたものがいくつも並んでいた。編み上げてカゴなどをつくるという。「ここに住んでいる人は、震災前に住んでいた行政区がみんな違うんだ。なかなか話す機会がなくてね」とつぶやく。
新型コロナウイルスの感染拡大も気に掛かる。しかし、村井さんは「住民同士が顔を合わせる関係をつくらないと。今、置かれた場所でまとまることが大事だよ」と訴える。口調は少しずつ熱を帯びてきた。その姿からは、古里の未来への思いがにじみ出ていた。