「またおまえの酒を造ってくれ」。浪江町から避難した人々の言葉が、心に重く響いた。 3月12日午後3時すぎ、東京電力福島第1原発の1号機が水素爆発し、半径10キロ圏内の浪江町請戸地区に避難指示が出た。がれきの中で命を残す人々を救いたかったが、立ち入ることすらできなくなってしまった。 着の身着のまま、町北西部の津島地区への避難が始まり、私たち家族も行動を同じくした。普段は1500人ほどが暮らす津...
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