近所の坂道、父の眠る墓地の坂道…。そのうち、坂道を見つけて走ることが趣味になっていた。代表合宿と自主練習で、日々成長を感じていた。 本格的に競技を始めて1年が過ぎた1994(平成6)年、世界選手権に初出場した。結果は日本史上最低の7位だった。 世界を知り、もっと上手くなりたいと思った。福島での練習に加え、若手主体で東北で頭角を現し始めていた「宮城マックス」(宮城県)に通い、岩佐義明監督の指...
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