父は帽子職人だが、とにかく安くしか売らなかった。「喜んでもらえなければ商売は続かない」という考えを徹底していた。父と母が営む帽子店は地域の学校などに体操帽などを作って卸していた。会社や高校の立派な飾りが付いた制帽も作っていたが、当時は3000~4000円で売れる物を半値近くで売っていた。 父は「もうけてやろう、利益出そう」という発想はなく、根っからの職人だった。損して得を取れというか、商売はそこ...
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