「東京に就職しないで帽子屋を継いでくれないか」。1968(昭和43)年の大学4年の夏、帰省すると待ち構えていた両親にそう告げられた。 帽子専門店の江尻帽子店を営んでいた父は、小名浜に新しくできるショッピングセンターへの出店を決意していた。「跡取りがいなければ出店はできない」。そう考えた父に説得された。 兄は既に就職し、姉も嫁いでいたため、残っていたのは自分だけだった。マスコミ志望だった私は東京に...
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