2013年、私は宇都宮市から白河市に拠点を移し、五輪出場への再挑戦を始めた。白河実業高自転車部の練習に交ぜてもらうなど、心機一転、新たな競技環境を整えようとした。 間もなく、婦人科系の病気に襲われた。手術や入院を余儀なくされ、国際大会に出場することができなかった。手術から約2カ月後、ようやく選手活動を再開できた。 ただ、チームに所属していた宇都宮時代と違い、一人でプロ活動を続けるには、競技以外の...
この記事は会員専用記事です
残り569文字(全文769文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。