角界とは全く違う世界に最初は戸惑った。 相撲取りを辞めて就職した先は立田川部屋の後援者が社長を務める名古屋の会社。タンクやスキー場の人工降雪機などの設備を製造していた。私は製缶で溶接を経験し、パワーショベルなどの免許も取得させてもらった。 しかし、1年余りで退職する。立田川部屋の部屋付き親方だった若葉山が定年を迎えて名古屋にちゃんこ料理店を出店し、私が板前として働くことになったからだ。面...
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