「パラリンピックのガイド(伴走者)をやってはもらえませんか」。引退して棚倉町に戻っていた私に、日本トライアスロン連合から打診があった。 「障害者と接した経験のない自分につとまるのだろうか」と不安に思い、引き受けることを迷った。ただ、そのころは地元で競技普及に向けた活動に汗を流していたものの、どことなく次の目標を失っていた時期だった。 これまで、トライアスロン一筋に生きてきた。この話を受ければ、自...
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