人見知りで消極的な自分を変えたい。
1970(昭和45)年、村に戻り家業の酪農を継いだ私の頭の中には常にそんな思いがあった。社会人になったからには人と関わり、人前でしっかりとしゃべれるようにならないといけないと思っていた。ただ、将来を考えていると、消極的という昔からの性格が私の中で邪魔をしていた。
自分を変えるためにも互いに刺激し合える仲間が欲しいと思っていた私は、酪農に取り組む同年代の若者に声をかけ、村の酪農振興に取り組む「飯舘村酪農同志会」を結成した。
会の活動は、メンバーで分担して村内の牛舎の消毒をしたり、酪農のイメージを向上させるために牛舎に花を植えるなど、多岐にわたった。メンバー紹介や各畜産農家の経営状況などを掲載した会報も発行した。
活動が軌道に乗り始め、79年に全国農業会議主催の「第3回若い農業者コンクール」の県コンクールに簡単な活動資料を添えて応募した。結果は、惜しくも最優秀賞を逃し、全国コンクールに進むことはできなかった。しかし、メンバーは諦めなかった。
結成以来の発行文書や活動記録を徹底的に整理した上で、提出資料を作成し、次年度のコンクールに挑んだ。最終的に他県のグループを圧倒し、最高賞の内閣総理大臣賞を受賞することができた。会の活動記録をしっかりと保存していたことが功を奏したのだ。その量は風呂敷包みがいっぱいになるほど。記録の重要性について学んだ出来事だった。
振り返ると、メンバー一丸で熱心に活動はしていたが、全国一の栄誉はできすぎだった。東京での授賞式後、テレビの生放送にメンバーと一緒にゲスト出演し、当時の会長と共に受賞の喜びを語った。
会の活動を通じて、私は徐々に内向きな性格を克服していった。以来、全国の酪農組織の幹部やPTA会長を引き受けるほど、いつしか社交的な人間に変わっていった。