高校生の頃、将来は会社員になりたいと思っていた。 父親は、仕事はできるが破天荒な性格だったため、職を転々としていた。そんな姿を見ていた母親から「娘には安定的な仕事に就いてほしい」との願いを言葉の端々に感じ取っていた。高校ではワープロや簿記などの情報処理を学んだ。高校3年で電力企業の一般職を受けたが不合格だった。 「技術や知識で食べていくんだ」。当時の私は、そうした意識が強かった。仙台市のウェブデ...
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