とある村職員の声かけがきっかけだった。 私が東北酪農青年婦人会議の委員長に就任した1986(昭和61)年、村の歴史に刻まれる新しい集まりが発足した。 その名も「いいたて夢(む)創塾(そうじゅく)」。村職員や農協職員、酪農家、主婦、商工会の青年など、関わる全ての人が肩書を取り払い、個人の意思と資格で加わった。ルールを作らないことがルールで、会則もなければ事業計画もなかった。とにかく村のために何...
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