戦後の日本で光学機器分野は輸出産業の花形だった。父の道広は学生時代にレンズメーカーでアルバイトをしており、給料の良さに魅力を感じて卒業後は別のレンズメーカーに就職した。ところが27歳で会社は倒産。取引先から事業存続を頼まれ、1961年に東京都世田谷区でシグマ研究所を創業した。社名はギリシャ語で「総和」を意味する。 最後発のレンズメーカーだったが、当初から父は下請け仕事ではなく自社ブランドにこ...
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