若手の頃だった1990年代はシグマにとって苦しい時期が続いた。93年に入社するとエンジニアだった父の意向で、最初は機構設計の部署に配属された。理系の素養はなかったが、見よう見まねでレンズの動きや構造を設計するのは楽しかった。しかし、95年に1ドル80円割れの超円高が襲ってきた。売り上げの多くを輸出に頼るシグマには大打撃だ。タイミングが悪いことに新商品は販売不振で、工場増設による投資額の返済負担が...
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