広島大時代はバンドに夢中だったが、専攻は日本語教育。とはいえ、教員になりたかったわけでもなかった。 教育実習に参加したが、先生は型にはまった指導をし、子どもたちも予定調和でそれをこなしていた。「子どもたちの心をつかめていないのではないか」。教員になる将来はますます遠のいていった。 そんな中、大学のカリキュラムで中国に1カ月ほど滞在し、現地の子どもたちに日本語を教えることになった。教材を一...
この記事は会員専用記事です
残り643文字(全文843文字)
続きを読むには「みんゆうプラス」の会員登録もしくは
「福島民友新聞購読」の申し込みが必要です。
