放射線防護の知見重ねる

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 19世紀末のレントゲン博士によるX線の発見以来、放射線の技術が急速に進歩する一方で、放射線による身体への影響に関する知見も同時に積み重なっていきました。ベクレル博士の発見と同じ1896年にはX線による皮膚炎が報告され、20世紀初めには皮膚がんや白血病も知られるようになります。

 また、1920年代のアメリカの時計工場では、腕時計の文字盤の夜光塗料に放射性ラジウムが使われていたため、文字盤を描く労働者がラジウムの付いた筆をなめるために多くの放射線被ばくをして社会問題になりました。

 そんな中、1928年にストックホルムでの国際会議にて、放射線を受ける「量」がどれくらい以上にならないよう目指すべきか、といった放射線防護に関する委員会(国際X線ラジウム防護委員会)が組織されることになります。

 当初その委員会は、放射線を扱う方々での被ばく量の規制について取り組んでいましたが、第2次世界大戦後は放射線に関わらない一般人(一般公衆)の規制についても議論がされるようになりました。

 戦後、国際放射線防護委員会(ICRP)と名前を変えたその委員会の勧告は世界中で権威あるものとして知られ、各国の放射線防護の基準として用いられるようになっていきます。