「震災遺構」継ぐ記憶...進む議論 請戸小校舎、福島県初の遺構へ

 

 東日本大震災の被災地では、震災の爪痕を残す遺構の保存に向けた議論が進む。記憶や教訓を後世に伝える役割を担う一方、先行してきた岩手、宮城両県では被災者感情から保存を巡り苦しい選択も迫られてきた。震災から8年、東京電力福島第1原発事故の影響で遅れていた県内でも遺構の保存に向けた議論が進み始めた。

 浪江町請戸地区。東日本大震災で127人が犠牲となり、27人が行方不明となった。震災直後、巨大な津波に変わった太平洋からわずか約300メートルの場所にある請戸小は、今も被害を受けた当時のままの姿でそこに残る。校舎に児童の姿はない。

 震災の当時、請戸小には児童82人が残っていたが、的確な避難によって全員がこの津波を逃れた。町は昨年10月、同校舎を震災遺構として保存・活用するための検討委員会を設置。検討委は2月に提言書を取りまとめ、町に震災遺構として活用するよう答申した。順調に進めば校舎としては県内初の震災遺構となるはずだ。

 検討委は有識者や地元住民、震災当時の学校関係者で構成、提言書をまとめるまでには多くの議論を重ねた。委員からは〈1〉津波被害と原発事故による災害の教訓と伝えることができる場所であり、児童の犠牲者を一人も出さなかった事実を伝えることができる〈2〉地区全体が災害危険区域となり、戻れる場所がなく建物の解体が進む中、震災前の請戸の暮らしや風景を感じられる唯一の場所〈3〉2015年の住民意向調査で、住民から震災遺構として望ましい施設として最も意見が寄せられた―などの意見が出た。

 検討委の一人で、震災当時請戸小の児童だった横山和佳奈さん(20)はその議論を肯定的に捉えてきた。「やっと議論が始まったと感じた。もしかしたら請戸小校舎が解体されてしまうのではないかと思っていた」と振り返る。

 請戸地区では被災した住宅などの解体が進み、当時を振り返ることができる建造物はほとんどなくなった。「地元の人が請戸に戻った時、『ここが請戸だ』と感じられる場所が請戸小ではないか」。震災遺構として残す意義をそう考えている。

 提言書では具体的な保存・活用の方法として、校舎1階と2階は内部の見学を可能とし、2階は展示など災害の教訓や地域の歴史を伝える場として活用することを検討している。体育館と展望台は外からの見学とした。提言を受けた町は今後、震災遺構としての保存・活用に向けた具体的な検討を進める方針だ。